プロローグ 露呈した都市の脆弱性
相次ぐ激甚災害
近年、気候変動リスクが高まる中で、想定外の「激甚災害」が相次いでいます。
2019年 9 月 5 日に発生した台風 15 号は、規模こそ小型でしたが、最大風速 57 ・ 5 メー トル/秒(アメダス千葉)と、観測史上最大級クラスの勢力で、 9 月 9 日に関東地方に上陸 しました。千葉県を中心に猛威を振るい、東京と千葉で死者 3 名、 1 都 6 県(東京・神奈 川・埼玉・千葉・栃木・茨城・静岡)で150名が重軽傷を負う事態となりました。
千葉県市原市ではゴルフ練習場の支柱が倒壊して民家を直撃し、君津市では鉄塔 2 基が倒 壊するなど、各地で倒木や建物損壊などの被害が見られました。
とりわけ被害が大きかったのは住宅です。 1 都 7 県(東京・神奈川・静岡・千葉・埼玉・ 栃木・茨城・福島 消防庁応急対策室)で「全壊」が391棟、「半壊」「一部損壊」が 7 万6483棟、「床上・床下浸水」が230棟と、実に 7 万7104棟が被災しました。
筆者(長嶋)は被災から約 3 週間後、千葉県館山市の現場を取材しました。損害保険や各 種支援制度を受ける根拠となる「罹災証明書」を発行するため、調査を行う館山市役所職員 に同行し、多くの被災家屋を見て回りましたが、現場は「悲惨」の一言でした。
屋根が飛ばされた家屋では生活はできません。室内はカビやキノコだらけで感染症の恐れ があります。6300棟もが被災した同市では、停電や断水が長く続きました。多くの道路 が倒木などで通行止めとなり、電車も不通となり陸の孤島になりました。人手が圧倒的に足 りず、被災から数週間経っても住宅の被害調査や修繕は手つかずでした。
被害がここまで大きいと、復旧も遅れます。家屋の被害が集中した千葉県館山市・南房総 市・鋸南町では、修理費の補助申請は約5500件ありましたが、 19 年末時点の補助金支給 は計 32 件にとどまりました。 18 年 7 月の西日本豪雨以降、各地で災害が相次ぎ、工事業者が 慢性的に足りない中での大規模被害だったからです。このため、多くの住民がブルーシート の屋根の下で年を越すことになりました。
館山市では小中学校の給食センターが復旧しておらず、おかずの支給ができていません。 2020年 9 月にようやく再開する予定です。
観測史上最高の降雨量をもたらした台風19号
19 年 10 月 12 日に日本に上陸した台風 19 号は、上陸直前の中心気圧が955ヘクトパスカ ル、最大風速は 40 メートル/秒と大型で、観測史上最大の降雨量をもたらしました。関東・ 甲信・東北地方などを中心に甚大な被害となり、死者 99 名、行方不明 3 名、重軽傷381名 (内閣府非常対策本部、令和 2 年 12 月発表資料より)となりました。
神奈川県箱根町では、降り始めからの降水量が1000ミリを超え、 10 月 12 日の日降水量 も全国歴代 1 位となる922・ 5 ミリを観測。最も被害が大きかったのは福島県で、死者は32 名に達しました。全国 71 の河川で実に135カ所の堤防が決壊。とりわけ阿武隈川や千曲 川流域の堤防決壊では、多数の家屋が浸水しました。全国の被害は「全壊」3280棟、 「半壊」「一部損壊」 6 万4705棟、「床上・床下浸水」 3 万929棟と、実に 9 万棟以上が 被災しています。
台風 19 号に伴う雨の特徴は、阿武隈川や千曲川などの流域全体に広く降ったことです。各 所における雨量はそれほど多くなくても、総雨量が多くなりました。数十年かけて計画・実 行される河川堤防整備は、過去最悪の災害発生時の雨量などをもとに河川ごとの流量や水位を計算、堤防の高さを決めます。しかし、台風 19 号のような例は過去になく、越水や堤防決 壊が多発してしまいました。
また現行の整備計画も、用地買収の難航などから未完了の河川も多数存在します。
浸水被害は「セレブの街」として人気の高い住宅地、JR武蔵小杉駅周辺(神奈川県川崎 市)のタワーマンションエリアも襲いました。十数棟あるタワマンのうち 2 棟が、川の水位 が上がったことで排水管から逆流するいわゆる「内水氾濫」によって、地下階の電気関係設 備が浸水、各戸の電気とエレベーターが止まりました。高層階を階段で上り下りしなくては ならないうえに、水道ポンプが被災し、水やトイレも利用できない事態が長く続きました。
一般にタワマンの電気設備は地下階にあることが多く、水が流れ込むと建物全体の電気系 統は機能不全に陥ってしまいます。大規模地震に備え、地震の揺れを受け流す「免震構造」 や、揺れを吸収する「制震構造」「高強度コンクリート」の使用といった対策が施されたタ ワマンは「災害に強い」イメージがありましたが、それはあくまで「地震に強い」というだ けで、「水害」に対しては脆弱であることが露呈しました(第 3 章参照)。
新幹線の車両基地が水没
台風 19 号では、北陸新幹線の長野車両基地が水没しました。120両が廃車に追い込ま れ、JR東日本は約148億円の損失を計上しました。国土地理院地図を見ると、車両基地 の周囲は「旧河道」や、洪水で運ばれた砂や泥などが河川周辺に堆積したり、過去の海底が 干上がったりしてできる「氾濫平野」であり、河川氾濫や軟弱地盤による液状化リスクがあ るところでした。
こうした土地に車両基地があったにもかかわらず、大雨への対策やマニュアルなどは存在 しなかったようです。
国土交通省によると、台風 19 号で決壊した堤防は全国で140カ所。その多くが川の水が 堤防を乗り越える「越水」などによる氾濫とみられています。
18 年の「西日本豪雨」による被害も記憶に新しいところです。西日本を中心に北海道や中 部地方を含む全国的に広い範囲で集中豪雨が発生し、総降水量は四国地方で1800ミリ、 東海地方で1200ミリ、九州地方で900ミリ、近畿地方で600ミリ、中国地方で 500ミリを超える雨量を記録しました。多くの地点で 48 時間、 72 時間雨量の観測史上最大値を更新。川の氾濫や土砂災害などで263人の命が失われたほか、行方不明者 8 人、負傷 者は484人(重傷141人・軽傷343人)でした。
約 1 万8000棟の住宅が全半壊。一部損壊は4000棟を超え、床上・床下浸水は約 2 万8000棟に上り、現在でも多数の世帯が応急仮設住宅やみなし仮設住宅での生活を強い られています。
住宅地が大規模冠水した岡山県倉敷市真備町では、倉敷市が作成していた洪水ハザード マップの「洪水浸水想定区域」と被害がおおむね一致。広島県熊野町川角の土砂災害現場も 「土砂災害警戒区域」と重なっていました。広島市安佐北区口田南 5 丁目の現場も土砂の流 出方向などが一致。愛媛県宇和島市吉田町白浦の被災現場も同様に「土砂災害危険箇所」と 指定されていました。
ハザードマップの内容を理解していた人は4分の1だけ
兵庫県立大学の阪本真由美准教授が行ったアンケートによれば、真備地区においてハザー ドマップの存在を知っていた人は 75 パーセント、その内容を理解していた人は 24 パーセント にとどまりました。また静岡大学の牛山素行教授の調査によると、洪水可能性がある低地居住者の 70 パーセントが、洪水の危険性を楽観視していたそうです。また、「避難しなかった 理由」について、「危険性は低いと思っていた」「これまでに被害がなかった」という回答が それぞれ 80 パーセント超を占めました。
また 51 人が犠牲になった真備町では、犠牲者の多くが高齢者でした。行政が情報提供をす るだけでは被災者を救えないという厳しい実態が見えます。
北海道地震で液状化被害
18 年の「北海道胆振東部地震」では、建物被害が 1 万件以上ありました。うち住宅につい ては全半壊1341棟、一部損壊7404棟( 18 年 10 月 4 日現在)に及びました。 札幌市内で特に被害が大きかったのが、清田区里塚地区です。
札幌市南東部の丘陵地帯に あるこの住宅地では、道路の陥没やマンホールが突き出たり、建物や電柱が大きく傾くなど の甚大な被害を引き起こしました。
国土交通省が公表した「札幌市清田区の地形復元図」(地形分類図)によれば、被害が大 きかった地区は「氾濫平野・谷底平野」でした。この地形は一般に低地にあり、水分を多分 に含んで液状化しやすく、地盤も弱くて建物が傾きやすい、いわゆる「谷埋め立て地」とされる土地です。
被害が大きかった地区には、以前川が流れており、フタがかけられて外からは見えない水 路になっていました。被害はこの川と谷筋沿いに広がりました。
一般に、建物を建てる際には地盤調査を行い、必要に応じた地盤改良を行うことになって います。しかし、これは2000年 6 月の建築基準法改正によって事実上義務付けられたも ので、それ以前の住宅地では、地盤調査も、ましてや地盤改良も行われていないケースが多 くありました。
ハザードマップの区域外でも被害があった17年の九州北部豪雨
17 年の「九州北部豪雨」では、福岡・大分県を中心とする九州北部で集中豪雨が発生。停 滞した梅雨前線に向かって暖かく非常に湿った空気が流れ込んだ影響により、線状降水帯が 形成・維持され、同じ場所に猛烈な雨が継続して降りました。
総降水量は多いところで500ミリを超え、 7 月の月降水量平年値を超える大雨となりま した。また、福岡県朝倉市や大分県日田市などで 24 時間降水量の値が観測史上 1 位の値を更 新するなど、これまでの観測記録を更新する大雨となりました。各地で河川の氾濫、浸水害、土砂災害などが発生し、甚大な人的被害、物的被害が発生。死者は福岡・大分両県で 40 人、行方不明 2 人、住宅被害は全半壊1432棟、一部破損 44 棟、床上・床下浸水1661 棟に上りました。
この災害では、ハザードマップでリスクが想定された域内はもちろん、区域外にも被害が あり、ハザードマップの限界が露呈しました。土砂災害と河川の氾濫が複合することで、甚 大な被害をもたらしたのです。
15年の関東・東北豪雨、常総市で鬼怒川が氾濫
15 年の「関東・東北豪雨」では、関東北部から東北南部を中心に 24 時間雨量が300〜 550ミリという豪雨になり、大規模な被害が発生しました。 80 河川で堤防決壊、越水や漏 水、溢水、堤防法面の欠損・崩落などが発生、死者は 20 人、負傷者 82 人、住宅の全半壊 7171棟、一部破損384棟、床上・床下浸水は約 1 万6000棟に上りました。
茨城県常総市で鬼怒川が氾濫した衝撃的な映像を覚えている方も多いでしょう。観測史上 最大流量となる毎秒4000立方メートルという記録的な水量を、下流部が受け止めきれな かったことで、付近の約 40 平方キロメートルが浸水しました。特徴的なのは堤防が崩壊したプロセスで、川から溢れた水が堤防を削る「越水破堤」でした。
溢れた水が町側に流れ、町側から反対に堤防側へと水が戻ることによって堤防が削られ、 小規模な堤防の崩壊が続き、やがて大きく決壊していったと考えられています。
自衛隊などのヘリコプターで救助された人は茨城県内で約1339人、ボートなどで救助 された人は2919人。浸水域は常総市が作成したハザードマップとほぼ一致していまし た。中央大学の調査によると、常総市の約 60 パーセントの住民が「ハザードマップを知らな い・見たことがない」と回答していました。浸水が解消されるまでには 10 日間かかりまし た。
74名がなくなった広島の土砂災害
14年 8 月、「数百年に 1 回程度よりはるかに少ない確率」で発生した記録的集中豪雨で、 広島市の 3 時間降水量は217・ 5 ミリ、 24 時間降雨量は257ミリと観測史上最高を記 録、同時多発的に大規模な土石流が発生しました。
国土交通省によれば、土砂災害による死者数は 74 名と、過去 30 年で最大でした。山から運 ばれた土砂が堆積してできた斜面は、住宅地になる前は棚田や段々畑だったところが多く、高度経済成長期の圧倒的な住宅不足の中で、開発されてきた地域でした。
もっとも大きな被災地となった広島市安佐南区八木・緑井では、土砂災害危険箇所につい てのハザードマップが作成され、警戒区域の基礎調査を終え県が住民説明会を準備していた ところでした。
八木地区の一帯は、以前「蛇 じゃ 落 らく 地 じ 悪 あし 谷 だに 」と呼ばれ、竜がいて、その首をはねたところから 「蛇落地」、水害が多いことから「悪谷」と呼ばれていたそうです。
増え続ける自然災害
19年 6 〜 7 月にかけて、南九州では宮崎県えびの市で総降水量1000ミリを超える豪雨 に見舞われました。 18 年 7 月の豪雨では、広島県、岡山県、愛媛県など西日本を中心に大規 模な土砂災害や浸水が発生し、 14 府県で死者数は224人。防災白書(内閣府、令和元年 版)によると、 04 年 10 月の台風 23 号、 11 年 8 〜 9 月の台風 12 号による豪雨で、それぞれ 98 人 の死者・行方不明者が出ています。
ここまで挙げたのは、被害の一例にすぎません。台風のエネルギー源は海面温度の上昇による水蒸気です。歴史的にみると、数千年間に 1 度程度の気温上昇がありましたが、直近で は100年に 1 度上昇しています。
世界経済フォーラム(WEF)が公表した「グローバルリスク報告書2020」によれ ば、今後 10 年間に発生する可能性の高い上位 5 位のリスクは、①異常気象、②気候変動の緩 和・適応の失敗、③自然災害、④生物多様性の喪失と生態系の崩壊、⑤人為的な環境災害 で、すべて「環境」に関連するリスクです。
さらなる気候変動が待ったなしの時代に、私たちは不動産との向き合い方を考え直さなけ ればなりません。