令和6年能登半島地震・金沢市周辺の市街地の緊急調査からの提言
2024年の正月に発生した令和6年能登半島地震は、約5年半ぶりに震度7を記録する地震となった。犠牲となった方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方のいち早い生活再建を祈念します。
能登地方では現状、奥能登を中心にアクセスの状況もあって被害の全貌はおろか、行方不明者が200人という段階にある。能登半島地震の特徴などについては「専門家が解説「令和6年能登半島地震」の特徴と盲点 」を参照されたい。
能登地方での震度6強、7という激しい揺れや、津波による被害とは異なり、震源からある程度離れて、震度5強(新潟市西区、金沢市など)で、宅地に大きな被害が生じた。これまで、各地の震災発生直後に解説や現地調査、メディア出演、取材対応を実施してきた、さくら事務所運営の防災シンクタンク「だいち災害リスク研究所」所長・横山芳春(理学博士)は今回、被害が限定的で周囲への影響が小さいと考えられた金沢市周辺で、1月4~5日に現地で被害実態の緊急調査を実施した。
都市近郊の住宅街で何が起きていたか、緊急調査の被害の特徴から見えてきた、災害対策の課題について解説したい。
金沢市付近の被害の特徴
金沢市田上新町および津幡町緑ヶ丘など金沢市付近の被害の特徴は、次のとおりだ。
金沢市田上新町
金沢駅から南東の造成地にある田上新町では、複数の住宅が斜面を崩落した。確認できた住宅は形を残したまま崩落していた。やや起伏のある丘陵地のへり、標高85m程度の地点から崩落が開始している。3棟の住宅と自動車、道路が崩落しており、それらは地盤ごと崩落しているような様子がみてとれる。規制線の外からの観察では、ブルーシートに覆われて崩れた面等は確認できなかった。
地理院地図からみると、崩落した南西側の斜面に細い道路があり、この付近までの斜面の角度は21度ほどと、著しい急斜面という様子ではなかった。崩れた下側のブルーシート上には水が乗っており、地下水が多かったことを示している。
対象地付近の造成地には一部に大規模盛土造成地があるが、対象地は指定から外れている、対象地付近は尾根から下る斜面にあり、特に谷筋という印象はない。「谷埋め盛土」である可能性は低いと考える。斜面を削った切土地であるが、自然地盤または南西の斜面にあった「腹付盛土」の崩落と考えるのが自然だろうか。
土砂災害ハザードマップでは、対象地の北側1棟より北の一体は、土砂災害警戒区域(急傾斜地の崩壊)付近にあるようにみえるが、少なくとも対象地の南東側の2棟は区域の外にあるように見える。
3棟は斜面との位置関係は大きく変わらないと見えるが、何らかの指定に満たない要因などで、指定されていないケースがある。通常、斜面の「下」の家ががけ崩れの被害に遭うことが懸念されるが、崩れるなどによって上部も危険な場所となってしまうことが考えられる。
ハザードマップ、特に土砂災害ハザードマップは、(特別)警戒区域の場所だけでなく、その周辺で指定されていない場所でも、土砂災害に見舞われることがある。「ギリギリセーフ」がないことを認識してほしい。
津幡町緑ヶ丘
津端町の北東部の丘陵地にある緑ヶ丘地域では、丘陵地にある造成地の斜面の上にある住宅で、カーポート部分と前面道路の崩落が認められた。標高42.5m程度から、28m程度まで下る斜面の上方にある。斜面の角度は21.5度ほどであった。
家屋への被害の程度は近づけなかったため不明であるが、著しく急峻ではないが丘陵地の斜面の上にある住宅の被害として、金沢市田上本町に似た被害と考えられる。
「重ねるハザードマップ」で大規模盛土造成地マップを見ると、対象地付近は大規模盛土(谷埋め型)に該当していた。土砂災害(特別)警戒区域は、緑が丘の造成地内には認められなかった。なお、緑が丘の区域内では、何か所かでのり面の崩れなどが認められた。
旧版地形図を確認すると、以下のようになる。
内灘町~かほく市における液状化被害
金沢市の北に位置し、「河北潟」と呼ばれる潟湖およびその北側に広がる干拓地の西岸、日本海と河北潟との間にある内灘砂丘の東側の低地沿い、確認できた範囲で約8.5㎞程度、帯状に液状化現象が発生していた地域が認められた。
以下の全地点を通じて、西側に内灘砂丘(標高40~50m以上)があり、砂丘の高い面からみると30m~40m以上低い、標高1~5m前後の場所において液状化被害が認められた。
調査地域のポイントと写真については以下地図に示すが、主だったポイントについて紹介する。
https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?mid=1PEBM62dDaSAbi5hw0Htn75IS7dPMa5E&usp=sharing
以下、調査範囲の南側から代表的な被害状況について解説する。
内灘町鶴ヶ丘地区の被害
内灘町鶴ヶ丘では、鶴ヶ丘小学校より南側(青丸)と、東側(赤丸)で被害が目立ったが、両地点では若干異なる被害の特徴がみられた。
小学校南側の地点は、概ね標高2.5~3.8m(地理院地図DEM5mを参照、以下同じ)の、小学校東側の地点は概ね標高1.3~3.3mであった(下図左)。この地域では、下灘砂丘本体のある西側から、河北潟の東側に向かって標高が低くなる傾向がある。地形区分は(下図右)、黄色は砂洲・砂丘を示し、黄緑色は氾濫平野を示す。
小学校南側では、ラーメン屋の駐車場付近での地盤変状が目立った。看板や電柱の傾き、駐車場の舗装がせり上がって衝突するような様子があり、せりあがっている地点より東側で、道路の沈下がみられた。
標高4mの標高点がある交差点より1本西側の通りでは、若干の噴砂や道路の沈下のほか、通りの西側の住宅付近、住宅前の側溝に沿って盛んな液状化噴砂丘がみられた。住宅は沈下して、玄関と基礎部分が大きな隙間となり、壁やタイルの剥離がみられた。住宅前のコンクリートブロック塀は傾きながら地盤に埋没し、5段あったものが2段分まで沈み込んでいる様子もみられた。
小学校東側では、内灘町消防署に約20㎝ほどの地盤から抜けあがっている現象(建物は杭で支持される等で、周りの地盤が沈下して段差が生じる現象)、地下配管の途絶がみられた。杭基礎のあるマンションや、鋼管杭系の地盤改良工事が行われている住宅では、住宅の不同沈下は免れても、このような「抜けあがり」現象があると、上下水道などが途絶することが想定される。もっとも、1軒だけ途絶を免れても、周囲の地下配管が損壊し、また勾配が変わることで機能不全となることも考えられる。
交番(地図X記号)の前の運送会社駐車場では、階段状の地盤変状がみられた。当初、小学校南側から小学校東側への流動も考えていたが、小学校東側では、この付近から地中の砂の流動があり、標高の低い東向きに砂が流出していったほうが考えやすい感もある。
交番がある通りから東側に1本入った通りで特に噴出が激しい傾向がみられた。住宅や車は砂に埋没し、大きく不同沈下した住宅もみられた。上の地図右側の地形区分で見ると、黄色の砂洲・砂丘と、黄緑色の氾濫平野の境目あたりに相当する。噴砂が多量に吹いている付近にお住まいの方によると、滝のように砂と水が噴き出して流れてきたとのことであった。
築10数年という住宅でも不同沈下が発生し、どのように修復していくかお困りであった。現行の耐震基準の住宅で、耐震性が高い住宅であっても、地盤の液状化に対しては対策がなければ無防備といえる。
内灘町宮坂地区の被害
内灘町宮坂では、赤丸の南側(黒船神社付近)と、青丸の北側の被害事例を共有する。
宮坂の南側(赤丸)付近にある黒船神社では、大量の液状化噴砂とともに、鳥居のほか、灯篭の転倒が目立った。なお、灯篭は黒船神社以外でも多数の神社で確認された。1/1の「X(旧Twitter)では、「灯篭は倒れない」という「先人の知恵」をうたう投稿(本投稿の動画引用で少なくとも2件)があり、ミスリードを招く投稿が拡散された。
実際には、非常に倒れやすいこと、過信できるものではないので、決して押さえに行ったりせずに離れて欲しい。これは、鳥居、石碑、狛犬、墓石など様々な背が高く重いものに共通する。倒れないものの中には、先人の知恵などではなく近代的な補強や接着剤などで止めているものもある。
黒船神社の南側の通りは、ちょうど坂を上っていく位置にあり、2か所ほどで大きく地盤に変状が見られる地点があった。写真の住宅では、歩道から延びる延長でブロック塀が断裂し、標高が下がる東側に向けて大きく沈下している様子がみられた。
ブロック塀の倒壊も各地で発生していた。このブロック塀では、倒壊したブロック塀の隙間から液状化噴砂が発生していた。地震時にブロック塀が倒壊した後で、液状化噴砂が噴出した順番であるとみることができる。なお、この地域の液状化被害があった標高は1.6~3.6m程度であった。
地震時にはブロック塀は倒壊のおそれがあり、離れることは鉄則であるが、液状化によってより倒壊しやすっていくことが考えられる。自宅にブロック塀があり、現行基準に適合していない場合は現行基準に適合したものにやり替え、またはできる限り軽量アルミフェンス等とする、もしくは撤去等することが望ましい。自治体によっては助成金があるので、お住まいの自治体に相談してほしい。
宮坂の北側(赤丸)付近では、通りの西側が、ちょうど標高が一段高くなるところに位置しているが、この並びにある住宅が深刻な被害を受けていた。下の写真のように、西側から押し出されるように砂が吹き出し、擁壁にはヒビが入り、住宅は傾いて不同沈下し、さらに外構部の階段やガレージなどは土中に大きく埋没し、または傾いてしまっている様子が見られた。ガレージでは地盤面はそのままもしくは圧迫されて盛り上がり、重量のある壁、屋根部分が土中に埋没することで、駐車してあった車両が潰されるような被害があった。
各地域では自家用車の被害も多く、舗装の盛り上がりや陥没で自家用車が使えない状況を多数目にした。自家用車が被災すると、余震に備えて自宅前や避難所の車の中で過ごす方もいたが、そのようなこともできなくなってしまう。重要な移動手段としてのみならず、被災直後はプライベート空間として非常に重要である、自家用車の被害も深刻であった。
畑となっている地点では、「階段状の地盤変状」がみられ、この延長にある住宅は、折れ曲がるように高い側と低い側に断裂してしまっているようにみられた。新しく、基礎を含めて構造上に強い住宅とは異なり、古い住宅では大きな被害に繋がっている事例は他の地域でも見られた。
さらに、内灘町宮坂の上記地図より北側では、3階建てビルが大きく、傾斜しながら地盤にめり込み沈下をしている状況もみられた。目測ではあるが1m以上は沈下しているようにみられた。なお、この地域の液状化被害があった標高は1.7~3.6m程度であった。
内灘町西荒屋~室地区の被害
内灘町西荒屋では、南側の西荒屋小学校付近(赤丸)と、北側の蛭児神社~西荒屋児童公園付近(青丸)、また西荒屋と室の境界付近(緑色丸)の事例を共有する。
西荒屋小学校付近では、特に路面の波打つような変状や電柱、交通標識の傾斜などの被害が目立ち、動画配信者とみられる自主撮影の実施等も見られた。西側から押し出されるような道路の変状が多数あり、車両が脱出できなくなっている事例も複数みられた。
西荒屋小学校付近では、県道の西側に道路との高さがある擁壁上の住宅が目立ち、宮坂の北側と同様に、ガレージの沈下、また擁壁が押し出されるような被害が目立った。なお、この地域の液状化被害があった標高は1.6~3.6m程度であった。青丸より外れたすぐ北付近では、標高3.7~5.1m程度の地点での被害が目立った。
西荒屋の北側、蛭児神社~西荒屋児童公園付近(青丸)では、やや標高が高い場所での被害が目立った。
蛭児神社では、階段は西側から押し出されて人が登れない傾斜となり、境内では灯篭の転倒などのほか、間知ブロック擁壁は大きくひび割れ、その下部で液状化噴砂と深い地割れが発生していた。液状化被害があった標高は2.3~3.9m程度であった。
蛭児神社に隣接する西荒屋児童公園では、階段状の地割れが連続するような地盤の変状がみられた。標高は5.2~5.5m程度と、他の地域よりやや高い。歩いてみると、地表に現れていな地割れもあって足を取られるような状態となっていた。
液状化噴砂は階段状の地割れと共存せず、地割れよりやや標高が低い、離れた場所にみられた。
西荒屋と室の境界付近(緑色丸)では、八幡宮付近で被害が目立った。住宅の被害としては、被害が多かった他地域と同様、道路を挟んで1段高くなっている地点での被害が多く、標高の低い東側に押し出されるような様相を呈していた。標高は2.8~3.1m程度であった。
室八幡宮では、参道の変状などのほか、灯篭の倒壊が複数生じていた。1件、倒壊した灯篭が、乗用車の側面に当たっているとみられる事例もあった。繰り返すが、揺れを感じたら決して灯篭には近づいてはいけない。車の駐車なども離れた場所が望ましい。
内灘町室地区の被害
室地区では、下記地図の赤丸の付近で、側方への地盤変状と共に、変状によって移動した土砂が近傍を流れる水路にまで達している様子を確認した。
県道付近より東側で、住宅や路面が東側に引きずられるような被害がみられる。古い住宅では壁が引きちぎられるように破壊される事例や、「階段状の地盤変状」がある地点では、本来は基礎下にあって地盤改良体が露出してしまっている事例までみられた。土砂が著しく東側に流動しながら沈下しており、住宅の基礎下の地盤が失われて移動していることが改めて明らかである。標高は3.5~4.5m程度であった。
なお、写真で見えているものは「柱状改良」による改良体であるとみられる。柱状改良工法は、硬い支持層まで到達させる必要がある小口径鋼管杭工法とは異なり、地盤条件によっては硬い支持層まで改良体が到達していないことがある。
これは、柱状改良では、柱状改良体とその周辺の土の周辺摩擦で支持力を確保している場合があるためである。この場合は建物の重さに対して支持することはできるが、液状化に対しては効果がないといえる。また、側方流動の場合は杭や改良体も引きずられて損壊する可能性もある。
地元の方のお話しで、「流出した土砂が東側を流れる水路に達し、流れをふさぐので開削した」とのことを聞いて現地を確認した。県道側の被害が激しかった地点の水路側付近(上図のうち南側=下の白色矢印)のところでは、土砂が対岸にまで達している様子が見られた。
水路の深さは不明であるが、水路を塞いで余りある土砂が流出したということは、住宅の下などからこれだけの量の土砂が失われたという事を示していると考えられる。
橋の北側でも土砂が水路に流入していた(上図のうち北側=上の白色矢印)。南側ほどでなくとも、側方流動が発生していたことを示していると考えられる。
かほく市大崎の被害
かほく市大崎付近では、榊原神社周辺で大きな被害がみられた。
地図で赤丸で示した榊原神社付近では、大量の液状化による噴砂の噴出がみられ、榊原神社では大量の石製の柵(玉垣)などの倒壊、傾斜、階段付近の壁、鳥居の一部の落下や参道の傾斜などがみられた。
神社北側には大きな地割れを伴う地盤変状があり、幾筋もの地割れが榊原神社へと延びていた。地割れの延長部では、神社の間知擁壁に亀裂が走り、神社の建物にも被害を与えているように見える。標高は3.8~5.9m程度であった(神社の擁壁上を含まない)。
榊原神社から北東約250mに「大崎の小清水(ちっちゃしょうじ)」と名づけられた湧水があった。内灘砂丘に蓄えられた水が、標高5~6mから湧出するもので「内灘砂丘湧水群」のひとつに数えられる。この地域に、砂丘からもたらされた地下水が、地下の浅い所を通っていることがうかがえる。
やや標高の高い傾斜地から液状化による側方流動や地盤変状が始まっている場所でも、こうした地下水の水位が高いことが影響している可能性も考えられる。
内灘町~かほく市の液状化被害まとめ
内灘町~かほく市付近では、以上に示すように各地で液状化被害があった。なお、詳しく掲載できなかったが、内灘町大根布付近でも複数の被害があった。かほく市大崎の宇ノ気水辺公園でも盛んな噴砂も確認され、内灘町鶴ヶ丘までの約8.5㎞程度で液状化を確認した。
液状化を確認できた地域の複数地点で、液状化とともに地盤が流動している現象がみられた。このことは、下記の図のような液状化に伴う「側方流動」現象が起きていた可能性が考えられる。
図では水平の地面を想定しているが、今回内灘町~かほく市では、内灘砂丘の河北潟側にある高い砂丘の面を下ってから、さらに潟側に緩く傾斜する「砂丘・砂堆」の地形の場所での液状化被害が目立った。
実際に流出した土砂が近傍の水路に達している様子もみられることもこれを支持すると考える。単にその場で地盤が沈下する水平な場所と異なり、傾斜がある地域では側方流動があると表層地盤は低い側へと動きやすく、川や海などの側に横方向にも移動し、段差や地割れを作りながら地盤が沈下し、地表に大きな変状を与えることに特徴づけられる。
護岸寄りの階段状の地盤変状、沈下のようなことが、より広い範囲で起こっているものとみていいだろう。
液状化の対策としては、住宅レベルでは主に小口径鋼管杭を支持地盤まで打設して、不同沈下を防ぐことが有効である。しかし、周囲の地盤が沈下すればライフラインは途絶する。さらに、側方流動が発生すると、上の図のように杭や改良体が損傷してしまう。
土地境界に関係なく、標高が高い側から地下で液状になった水と地盤の砂が流れる現象は、個人レベルで対策することは難しいと考える。
液状化現象が起きるのには、次の3つの要素が必要となる、①ゆるい砂地盤(概ねN値15以下)があり、②地下水の水位が浅い場所に、③大きな地震動が来る、以上がそろうことで発生する。
能登半島地震において、かほく市では最大震度5強、内灘町では震度5弱の地震が記録されている。一般に、液状化は震度5程度より大きな、規模の大きい(継続時間の長い)地震で起きやすい傾向がある。
地震の震度としてはやや下限に近いが、地盤状況によって地震動が増幅され、同じ自治体の中でも大きな震度が観測されることもある。
今回液状化被害があった地域は、砂丘のすそにあたる場所の砂地盤で、内灘砂丘からもたらされた地下水の水位が浅いとみられる地域で、大きな地震を受けたことで、3要素がそろってしまったものと考えられる。「低地」のなかでも、液状化が発生しやすい、砂丘の背後(陸側)の低い場所にあたっていた。
内灘町の液状化マップ(内灘町液状化マップ )を確認すると、大半の場所は液状化のしやすさ「大」となっていたが、室と、地図で示す鶴ヶ丘小学校より東側(赤丸)の地点は、液状化のしやすさ「中」となっていた。
ここで、液状化のしやすさ「中」とは「大」ではないがリスクは一定量あるという認識が必要である。また、液状化のしやすさ「小」も、リスクがない、ということではなく「小さい(リスクが低い=ある)」場合もあることには注意が必要だ。
また、色が塗られたメッシュは一定の面積で作られているため、境目などでは「ギリギリセーフ」ではないことがある。
それでは、液状化リスクは、どのように確認すればよいのだろうか。①地形区分(液状化が起きやすい地形か)、②過去の液状化の履歴、③過去の土地利用履歴(水田や沼田、海や湖沼だった場所はリスクが高い)、そして④液状化ハザードマップ、の4つのステップで、液状化の詳細調査(現地調査)を行うかどうかを判断すると良い。
液状化現象は、東日本大震災で千葉県や東京都、埼玉県などで大きな被害を出したが、国交省はその調査や情報提供の義務化は行わなかった。「住宅性能表示制度」にて、「液状化に関する情報提供」というかたちで任意で情報提供するかたちに留まった。
現状では、住宅建築時、まして居住者に対して、残念ながら積極的に液状化に関する情報や、対策について積極的に通知される法的仕組みはない。購入者、居住者自ら調べ、関心を持つことが必要である。
なお、液状化リスクの管理、対策としては以下のような方策が考えられる。液状化現象は人が死亡するような事態につながりづらいことからあまり重視されない傾向があるが、リスクの高い地域については、本来は回避(住まない)ことが最善である。
住む場合には、リスク低減(対策工事等)は完全に被害を防ぐことは難しいことや金額が高額になることに注意が必要だ。移転(地震保険に加入)と低減(対策工事等)を併用することも効果的だろう。保有(何もしない)は、理想的には液状化が起こるような地震の確率、また起きた際の被害が低い場所で取られるべき方策である。
ただし、既に住宅が建っているところでは対策工事等は困難であるので、住み続けたうえで対策となると、万が一に備えて火災保険にセットで地震保険に加入しておく程度となると考えられる。
「側方流動」による被害の特徴
内灘町・かほく市で見られる液状化被害では、これまで述べてきたように、地盤が流動化して側方にすべる、側方流動の特徴を示している場所が複数見受けられた。山側の地割れ、低い側への沈下、家屋が裂けるような被害、階段やガレージ、道路などの押し出し、また土砂の明らかな低い側への流出などが、これに該当する。
土木学会(2001)によると、側方流動には、下図の通り、タイプ1・傾斜地盤における側方流動と、タイプ2・護岸移動に伴う側方流動の2種類があるとされる。先述の図で示したモデルは、護岸がある場所で発生するタイプ2に相当する。1995年に発生した兵庫県南部地震では、液状化によって護岸が移動し、タイプ2の側方流動が発生している。
一方、内灘町・かほく市で特徴的な緩い斜面における側方流動と地表面の変状は、タイプ1・傾斜地盤における側方流動に分類されると考えられる。
内灘町にみられる甚大な被害について、緩斜面地盤の傾斜と実際の変状をイメージした図を作成した。山側から低い側に至る特徴的な被害、地面が引き裂かれたかのような地割れから、「隆起」したように見える道路などは、以下のようなモデルであれば説明ができる。元の地形が「段差」のようになっており、階段や擁壁があった場所では、標高が高い側から土砂が流入することによって階段は急傾斜となり、擁壁は転倒し、家があれば大きく傾いてしまう。
能登地方の甚大な被害
能登地方については現状、個人が立ち入りできる状況ではないので訪れていない。甚大な被害は、現状のところ得られている状況や、昨年5月に珠洲市付近の被害を調査した結果から、以下のような原因が考えられる。
①兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)を上回る地震の規模、そして②特に古くダメージを受けた木造住宅に被害を及ぼしやすい地震の揺れ(キラーパルス)、さらに③古い木造住宅が多い地域にあり、それらは④昨年5月5日の最大震度6強の地震などこれまでの群発地震でダメージを受けており、⑤輪島市中心部や珠洲市の一部では揺れが増幅されたやすい地盤の地域があることなどが影響していると考えられる。
今後心配なことととして、能登半島北部は積雪地であり、既にこれまでの地震で地盤がひび割れや緩みがあるところも多いと考えらえるので、今後の積雪や融雪により水分が供給されることで、土砂災害につながりやすくなることに注意が必要だ。
令和6年能登半島地震まとめと提言
現状、能登半島の甚大な被害とは別に、石川県の一部(新潟県も同様か)では、日常に変わらぬ暮らしをしている街の一角で、家は住めない状況で上下水道も途絶、今後の生活再建すら先が見えないという人がいることを目の当たりにしてきた。
土地の災害リスクは深刻に考えて老いない人もいるが、ひとたび大地震等が発生すると、生活が一変し、場合によっては命を失い、我が家を失い、または住めない状態になってしまうこともある。
しかしながら、現状の法体系においては、災害リスクを個々の居住世帯に通知する定めは基本的にはない。
立地のリスクを考えることが重要
宅建業法では不動産取引の際に、土砂災害(特別)警戒区域ほか、津波災害警戒区域等、大規模盛土造成地、2020年8月には水害ハザードマップ(水防法に基づくもの)の該当有無のついて説明する義務がある。ただし、これは不動産の取引の際、それも大半は契約時の重要事項説明のタイミングのみである。
※「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)」で津波が警戒される事前避難対象地域(内閣府)程度か
これも、今住んでいる家のリスクを示すものではない。しかも、地震時に揺れやすい地盤や液状化のリスクが高い地域、ハザードマップにかかっていない場合などは、通知義務の対象ではない。
今回の調査でも、地域にお住いの方から次のような声を聴かせて頂いた。
- 50年以上住んでいるがこんなことは初めて、災害自体にも遭ったことがない
- 地震保険にも加入しておらず、復旧には数百万円以上、いくらかかるかわからない
- 引っ越すことが必要だと感じているが、もし解体が必要となってもその費用もない
- このようなことになる地域だとは考えもしなかった
側方への地盤流動と著しい沈下を伴った液状化被害は、一軒の敷地内の家屋沈下修正のみで解決できる問題ではない。元通りの居住を行う場合、個人で賄えるレベルではない。また、居住するにしても対策を行わなければ同程度かそれ以上の地震で、同じようなことが繰り返されてしまうおそれもあるだろう。
生活の復興には長い時間がかかることも想定される。どうか、公的機関による、適切な支援や助言等について迅速、かつ丁寧に行われること、また望まれる方にボランティアなどの手が行き届くことを願っている。
被害の発生した各地点は、ハザードマップ等では一定のリスク表示がなされているエリア、またはその近郊であることも多かった。それを認知していたか、最悪はどのようなケースが起こるか、それによって対策をしているかというと、実際にはできていたかったことが実情だろう。これは、今回の被災地だけに留まるものではない。
地震(に限らず水害、土砂災害なども)対策を考える時、まずは立地のリスクを考えることが極めて重要である。立地は、後から変えることはできず、地盤の課題などは家1軒の個人レベルでの対策が難しいこともある。内灘町~かほく市の側方流動を伴う液状化のような現象、また盛土地の被害を軽減させようという場合、街区全体での対策が必要なレベルであると考えられる。
立地によっては、地震で津波や火災、また近隣の住宅の倒壊や地盤ごと崩落、流動するようなこともなく、何の対策もしなくても耐震性の高い家さえ作っておけば、倒壊せずに住み続けられる立地もある。このような自然災害リスクは、地価に影響せず、地価が高いからといって災害リスクも低いということには必ずしもつながらない。
こう書くと少し語弊があり、複数の研究で水害履歴地の地価などに影響があることは知られている。特に重要事項説明に関連する水害などでは影響があるケースもある。しかし、被災後すぐに地価が上昇傾向を示した浦安市や武蔵小杉周辺を好例として、今だその立地のブランドや商業的価値と、災害リスクは見合っていないと考えている。
「立地のリスクはどこにでもある、ゼロにはならない」という論調を目にすることもある。しかし、限りなく床上を超す浸水がなく、土砂災害は起きず、地震で避難の必要がない立地もあれば、それらのリスクが高く、何かあれば自宅の生活基盤そのものが失われかねない立地というものが存在することが事実である。
今回の被害は、山側の被害は丘陵地のへり(特に盛土地付近)で、まさに地盤沈下やがけ崩れが発生している。内灘町~かほく市の液状化発生地点は、低地にあたる。場所によっては液状化のリスクが高い土地である。
私たちは何をすればいいのか
今回の金沢市周辺の市街地の緊急調査からも、同じ自治体の中、あるいは同じ学区でも被害が全くない家もあるのに、自宅は住めない状況になっているということが発生している。場合によっては、通り1本挟んだ家や、隣の家と自宅という違いで、このようなことが発生することもあるだろう。
立地に関するリスクを見落とすと、地震や大災害時に住み続けられなくなる。いくら備蓄や備えをしても、住み続けられないだけでなく、また津波や地震後の火災に遭う地域であれば命や住まいを失うこともありうる。
まずは立地のリスクを正しく知って、どのようなときに避難する必要があるのか、ないのか。住宅の耐震性は十分か、関心を持って自ら調べて、知って欲しい。液状化地域であれば建築前に調査や対策を行う、新築する際には耐震等級3の家を建てる、既存住宅であれば耐震診断・耐震補強をすることで、まず我が家の倒壊で命を失うということもなくなるだろう。その次に、ケガをしないための家具配置や間取り、そして家具の固定と言うステップが必要だ。
その後で、ようやく備蓄と言うステップが望ましい。決して日本全国、どこでも能登半島は対岸の火事ではない。トイレ不足や足りない救助など、南海トラフ巨大地震や首都直下地震が発生した際は、都市部のあちこちで同じようなことが起きる。場合によっては人口密集地においては、より大きな被害となるだろう。
どうか、立地のリスクを知って、必要な備えを進めて頂きたい。
以上、横山芳春による現地調査結果からの提言である。なにぶん目視中心の速報性を求めた独力の調査である。2日間で、自宅出発から帰宅まで、30㎞を歩いて見聞した内容に基づいている。詳細な被害状況原因究明やメカニズムなどは、今後詳しい調査があるだろう。調査内容や見解は、発災3~4日後の時点で現地の被災状況の目視調査から一般的に考えられることとお考えいただきたい。
最後に、X(旧Twitter)で現地の貴重な情報について提供いただいた皆様、大変な状況のなか現地で貴重な情報をお伺いさせていただいた皆様、また内灘町緑ヶ丘の調査にご同行させていただき、議論をいただいた株式会社伸洸の西村伸一代表取締役に深くお礼を申し上げる。